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前回の記事で、宇宙に上がってからのディアナがいまいちと書いたのですが、なぜそう思ってしまったのか理由が分かった。
宇宙に上がってからのディアナは、中身は最初に地球に降りてきた時と変わらない「世間知らずのお嬢さん」とそう変わらないのに、回りの人間が必要以上に持ち上げることで無理矢理神格化しているからなのだな。 私はどうもこういう周囲の人間にキャラクターを褒め称えさせて、凄い人間のように見せる手法が好きではない。 仮面ライダーカブトの後半部分が決定的に受け付けなかったのは、主人公の天道をそういう方法で「凄いヤツ」に見せていたからだし。
現在、第43話「敵、新たなり」まで観賞。 ちなみに私は一度通して観ているので、続きを読む方はそこら辺に注意してください。ネタバレます。 |
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200706250754 |
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∀ガンダムのメモリアルボックス2が届いたので観賞。
なので今は他のことは何も考えられん。
富野監督は画面作りがうまいなぁと思う。 動いてないのに動いているような気になる。 あと狭い絵なのに、とても広い風に見えたりとか。画面に奥行きがあるというか。 動くとこは動くんだけど、その中にも動かない部分があったりして緩急がある。 とか思ったりするのだけど、映像は専門外なので感覚的にしか語れない。詳しいことは分からない。 映像を専攻している人には当然のことで、私が普段見ているものの中にもさりげなく使われているんだろうか。 ここら辺に目が行くのは見るのが二回目だからなんだろうなぁ。 私はどうしてもストーリーばかりに目が行くので、一回目ではこういう画面作りや映像ならでは演出に目を向ける余裕が持てない。 宇宙に上がってからのディアナ様は女王様になってしまっているので個人的にはいまいち。 というか、正直ディアナ編は終わって主役から立ち退いているので目立たない目立たない。 いや、役としては目立っているのですが、キャラクターとしては他のキャラの陰に隠れてしまっている。 ソシエが良い感じに落ち着いてきているので、どうしてもそっちに目が行くなぁ。 あと、観ていて感じるのはギンガナムが、物語を終わらせるため現われたとしか見えないのがなぁ。 でも考えてみると、ギンガナムという存在は、アグリッパという存在との対比としては絶対的に必要なんだような。 仮にギンガナムとアグリッパの中間のような存在を敵としてしまうと、それは単に「武力でディアナから政権を奪おうとする奴」になってしまう。 それはあまりにも三流過ぎる。 あるいは「ディアナを飾りにして、実質的な政権を得ようとする」つまりは今まで代わり映えのしない展開にしかならない。 となると、ディアナに固執しないギンガナムは最後の敵として相応しいとしか言えない。 流石にグエン単体じゃ荷が重過ぎるしなぁ。月と地球を同時に支配しようという発想をするには、グエンはリアリスト過ぎる。 それにしてもターンエーの戦闘シーンは面白いんだけど地味だなぁ。 ケレン味を求めている人間にはきついものがあると思う。 ▽関連記事▽ 「∀ガンダム」における君主論・その8 ― Speak Like a Child ボックス2が届いたので、やっと読めた。 グエンは一回その民意を無視して大失敗をやらかしてるからなぁ。 というか、彼は基本的に民の考えとかには目を向けてないんじゃないだろうか。 彼の目的がたまたま時代の流れにあっただけという部分が大きいように思えて仕方ない。 ▽ウチの∀ガンダムに関する記事▽ ・ハリー・オードはマザコン ・「∀ガンダム」2巻まで観ました ・「∀ガンダム」の3巻を整理する ・ディアナ様は本当に可愛らしい方でいらっしゃる ・∀ガンダムはおもろいな ・ハリー隊長はディアナ様フェチ ・ターンエーの癒し ・∀ガンダムはおもろいな ・∀ガンダムは黒歴史の再来を回避できない ・∀ガンダム最後まで見ての箇条書き |
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200706240008 |
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ぐっはー!
思いっきり胸に刺さっちまったよー。 あと読み返してなんか違うなぁ、と思ったので色々修正。 ネット上で「竹田さん」することの是非 ― みやきち日記 要するに「人の話をダシにして、自分の話ばっかりするのはどうなのよー」って話。 ・・・いや、ちょっと違うか? そして私という人間は、そのまさに自分の話ばかりの「竹田さん」なわけで。 あんまりやるべきではないと思っているのだけど、トラックバックどろこか、コメント欄でも普通に「竹田さん」始めるしね。 コレとかアレとかソレとか見てくださいよ。 凄いでしょ。この「竹田さん」っぷり。 人の話を聞いていないにも程がある。まったくどこのどいつだ! 書いた人間の顔が見てみたい! ただちょっと待ってほしい! 「竹田さん」にも「竹田さん」なりの理由があるのです! ・・・という言い訳でもツラツラ書いてみようかなぁなんて思いまして。 そもそもですだ。 やっぱり記事を書いている時だって、ただ頭にあることを形にしているだけじゃありません。 文章を書きつつも、同時に頭でそのことについて更に考えているんです。 そして色々と話が膨らんだり発展したりしながら書いてる内に、最終的には最初の手掛かりとは全く関係のないところに行き着いたりする。 本当は別記事にすればいいんだろうけど、文章としては元記事を見てもらうことを前提とした構成をしているわけで、そうなると脱「竹田さん」をするとなると一から書き直さねばならず、最悪では記事をお蔵入りさせてしまうことにもなりかねません。 あるいは「竹田さん」になっている自覚はあるのだけれど、きっかけを与えてくれた元記事への感謝の印としてリンクを張ったり、トラックバックを送ったりする場合もあります。 あるいは元記事をもっと色んな人に見てもらいたいという理由も。 だけど同時に下種な理由として、話を進めるのに必要な前提条件を自分で書くのがめんどくさかったり、トラックバックなら自分のブログの宣伝をしたいって側面もあったりするなぁ。 あんまり褒められた考えではないというのは分かっているのだけれど、人間だからめんどくさいと思ったり、ついつい欲が出たりもする。 そして、そういう魔がさした時というのは「これぐらいなら下種な意図がバレないだろう」という愚かな考えにとり憑かれたりもする。 この様に「竹田さん」にだって色々と事情があるんです。 なので「竹田さん」は元記事と離れたピントはずれな記事を書いてしまったら、トラックバックをする前に少し考えましょう! ・・・いや、だって「竹田さん」本人が言うのもどうかと思うけど、やっぱりピント外れな反応を返されると困ったり嫌だと思う人もいるよ。うん。 私としては多少「竹田さん」でもトラックバック送ってもらえると嬉しいのですが(反応して記事書いたりするかどうかは別として)、それが嬉しくない人もいるわけなのだから今後は気を付けようと思います。 ・・・でも正直に言って「竹田さん」しない自信が全くないのが困り者。 何しろ、どこからが「竹田さん」かというのは受け取り手の心持ち一つで決まるようなものだし。 こっちが「竹田さん」のつもりは無くても、向こうからすれば「竹田さん」以外の何者でもないということもある。 そこら辺を気にし過ぎると何も書けなくなってしまうしなぁ。 とりあえず、関係ない話の時は前置きの一つもするところから始めたいと思う。 でさ。元記事にトラックバック送ろうと思うんだけど、今回は別に「竹田さん」になってないよね? いや、なんか元記事に託けて自分の話ばっかりしているような気がするので、いまいち自信が持てません。 |
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200706220148 |
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「らき☆すた」の何が好きかって、もちろんあの動いてないようで動かなくてもいいところが動いている作画とか、かわいい女の子とか、全体的に広がるパロネタの連発とか、かわいい女の子とか色々ありますが、今回はあえて会話の間について語りたい。
キャラクター達が会話している時に、突然流れる微妙な間。 話題が続かなくて会話が途切れるあの間! 次の話題に話が移る前のあの間! #8:「私じゃなくても旺盛」より つかさ 「こなちゃんは運動得意だからいいけど…私なんて足手まといだもん」 かがみ 「あははっ」 こなた 「大丈夫だよ」 (微妙な間) つかさ 「おねいちゃんはどの競技に出るの?」 この間! この間なんだよ! 素晴らしいよね。と思うのは私だけー? 小説やマンガでこういう間を作ろうと思うと、こんな微妙な感じにならなくて、必要以上に存在感が大きくなってしまう。 私は小説が専門の人間なので、どうしてもそちらに傾くけど小説ではマンガよりも再現が難しいと思う。 三点リーダ(…)を使用するにしても、会話と会話の間に地の文を挟むにしても、沈黙が大きくなりすぎてしまう。 この「間」ってアニメ(というか動画)ならではの表現だと思うんだよね。 計算ずくなのか、天然で偶然出てきた表現なのかは分からないけど、こういうその媒体ならでは表現って私は大好きです。 |
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200706181719 |
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ひさしぶりにモノツヅリを更新。
詩のサイトなので興味のない人はスルーでよろしく。 短歌を一つと詩を二つ更新。 「pee helm ghost」は随分前に書いたのだけど、内容的に公開していいものか悩んでいた作品。 |
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200706180610 |
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「電脳コイル」を見ていると、ひさびさに子供向けアニメを観ているなぁという気になる。
残念ながら私の周りではあまり話題の上らないのが残念。 もっとも上ったとしても「面白いよねぇ」「だよねぇ」ぐらいで終わっちゃいそうではあるけど。 正直、最近は子供向けじゃなくて子供騙しな作品ばかりだったからなぁ。 本来、子供達に観て欲しい作品などが軒並み深夜アニメとして放送されちゃうのも原因なんだろうけど。 「最強の弟子ケンイチ」とかは普通に午後六時代にやるべき作品だと思う。 エロ要素やマニアックな部分があると、とりあえず深夜に持っていくのは勘弁してほしい。 私は構わないけど、それだと子供達の目に触れ難くなってしまう。 電脳コイルが子供向けになっている理由の一つとして、ちゃんと大人の世界が存在するってのがあると思う。 子供騙しになってしまう作品というのは、大人の世界が存在しないか、あったとしても子供の世界の下に置かれてしまう。 そういう作品世界では大人というものは愚鈍な生物で、子供達が直面している事件や危機に気付けないし、気付ける状態にいたとしてもロクにリアクションすら取れない。 別に事件に積極的に大人が絡めということではなくて、世界から大人を不自然に切り離さないでほしい。 子供だけの世界では、あまりにもリアル感が欠けてしまう(デジモンアドベンチャーみたいな十五少年漂流記系で、最初から大人が介入できない世界なら有りだと思う)。 個人的に6話「赤いオートマトン」が違和感あったのは、大人の世界を大人の目線から描いちゃってるんだよなぁ。 「オバちゃん」が自己申告通り17歳だとしても、小学生から見たら立派に大人の仲間だし。 大人の世界は存在しても、それは子供の視点から描いてほしい。 ・・・贅沢で身勝手な言い分だなぁ、我ながら。好き勝手言ってるよ。 とにかく電脳コイルが素晴らしいのは、ちゃんと大人も生きている世界で子供達が中心となっているからで。 色々と魔法チックな現象が起こっても、子供達はあくまで子供らしい、深く物事を追求しない順応性を元に行動を取っているのがまた素敵。 なんていうか「子供がちょっと危ない遊びをしている」雰囲気になっているのが素晴らしい。跳躍し過ぎず、深刻になり過ぎず。 一見大人びえて見えるイサコも、中身はちゃんと子供だしな。 人との関わりが下手だけど自覚無くて相手に責任を押し付けたり、無視すればいい男子達のちょっかいを迎え撃つし、その場の勢いで男子達のグループを乗っ取るし。 とりあえずイサコは可愛い。かわいいは正義! ▽関連記事▽ ・『電脳コイル』で久々に「子ども向けアニメ」を見たと感じた ― tukinohaの絶対ブログ領域 ・電脳コイル 第1話〜第6話 感想 ― ほろん家の崩壊 実は途中で突然ブラウザが落ちて、書いていた文章が一回全部飛んじゃったのよね。 何とか形にはしたけど、内容はともかくそこに込められた心情的には半減しちゃってる感じ。 火狐さんを信じていただけに、今回のこれはちょっとショックです。 |
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200706170803 |
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サイトを売り買いするって、私にはどういうものなのかまったく理解できないのだけど。
□サイト売買のサイトストック そう思うのは、私が個々人の能力に依存したサイトばかりを運営してきたからなのかなぁ。 イラスト系サイトとか、こういう文章系サイトとか。 あとアクセス数がせいぜい100前後にしかなったことがないのも関係あるか。 「買取希望情報」とかを見ていると結局、人気のある(ユーザー数の多い)サイトを買い取って、そこで自社の宣伝とかをしたいってこと? ・・・買い取っても、ちゃんと管理できなきゃ意味ないと思うんだけど。 まぁ、占い系やコミュニティー系の固定コンテンツのあるサイトとかはあんまり更新しなくても、既存のコンテンツを目当てに人が絶え間なく流れてくるからなぁ。 逆にアフィリエイト系とか文章とか、更新頻度とセンスが重要になるサイトは厳しい。 あと「売却案件紹介」で紹介されているサイトの方も値段の割りに、その中身はしょっぱいように見える。 「月間ユニーク数が1万」と言われると、一瞬「おっ!?」と思うけど、冷静に考えると一日のアクセス数は300程度だし。 それぐらいのアクセス数でも商売になるもんなんだろうか。 というか、その程度のアクセス数のサイトすら作れないような人が、既存のサイトを買い取ってもちゃんと維持できるのか疑問。 ・・・こういうのを見ていると、自分もアフィリエイトサイトとか真面目にやったら儲かるんじゃないかとか甘い考えが浮かんでしまう。 そううまくはいかないから、こういう風に人気のあるサイトの売買が成立するんだろうなぁとは分かってるんだけど。 |
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200706161715 |
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正直言って設定の統合性の無さやら、ご都合主義とかその場のノリだけの脚本は、今までの平成ライダーと何ら変わりない。
というか、下手をしたらあのカブトよりも更に酷いかも知れない。 最初の方から言っているけど、特にタイムパラドックス関連の設定の適当さには目を覆うしかない。 更には出てきては投げっぱなしになる謎。イマジンが過去に飛ぶ目的やら、過去の桜井優斗、特異点という存在、そもそも電王とは何なのか……などなど。 そういうものを「こういう謎があります」と提示するだけで作中で登場人物がそのことについて考察することもなければ、ヒントも示されず忘れ去られていく。 これも毎年のことではありますが、あまりにも酷過ぎる。 恐らく、一向に解明されることなく、グダグダに終わってしまのではないかと懸念しています。 あと最近の平成ライダーの特徴として、あまりにも人間の命が軽すぎるというのがある。 一時期、子供がイマジンに襲われても病院送りになるだけだったりして「おっ!」と思ったのですが、最近では普通に人が殺されまくり死にまくりです。 別に人を殺すなということを言うつもりはありませんが、登場人物がそれに対してまったく気にする素振りを見せないのはどうかと。 そのせいで良太郎が戦う意味が薄くなってしまっている。 「人を守るために戦う」というのなら、怪人による被害に目を向けないと空々しくなってしまう。 過去の世界で起こったことは無かったことになるというのなら、多少ご都合的でも現代では絶対的に人の被害が出ないようにすればいいのに。 ちなみに現代での出来事がどうなるかについては、前述の通りタイムパラドックス関連の設定が超適当なのでどうしようもない。 もしこれで例年通りの路線だったとしたら、私はイライラしながらも喜々として感想を書いていただろう。 だが幸運にも(?)この仮面ライダー電王は今までの路線を180度変更し、明るいギャグ物になっている。 その勢いのお陰で、そういう粗以外の何物でもない部分を勢いで乗り切っている。 そのため例年なら苦虫を噛み潰したような表情で観賞しなければならない話でも、安心して観ることができる。 更にはこれまでのシリーズの積み重ねによるアクション、カメラワーク、そしてCGの使い方(前回のゼロノスの登場シーンの演出は本当に素晴らしかった)。 そこへ主役の佐藤健さんやベテラン声優人の演技力が組み合わさり、面白く見れる作品になっている。 ただ懸念するのは、これはジャンクフード的な面白さなんじゃないかということだ。 確かに見ている時は面白い。しかし、その後には何も残らない。 それが悪いとは思わないけど・・・子供が観て楽しいのが第一で、そういう意味では電王は十分に素晴らしいと思うけど・・・個人的にはどこか納得できないものがある。 特に「燃え」が圧倒的に不足しているのはなぁ。 燃える燃えないラインは個々人で違うので、もしかしたら他の人は燃えているのかもしれないけど、少なくとも私は電王では燃えられない。 ストーリーの流れがそもそも燃えることを前提としてないので、多分製作者の人達はそこら辺は切り捨てちゃったんだろうなぁ。 それが残念。 最初は「電王は結構おもしろいね」という話をしようとしていたはずなのに、気が付くとこんな内容に。 自分でも気付いていなかった不満点が満載だったんだなぁと驚くばかり。 もっとも、そういう不満点を乗り越えて単純に楽しませることが出来る電王の力強さは本当に素晴らしいと思う。 それだけにその力技がより通りやすくするために、もっとストーリーラインを単純化することは出来ないのかなぁ。 イマジンの目的なんかはさっさと明かしてしまえばいいのに。 ▽関連記事▽ ・[仮説]イマジンが歴史を変える方法[仮面ライダー電王] |
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200706160019 |
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左手をご覧下さい。
「あわせて読みたい」でございます。 何か面白そうなので付けてみました。 ウチのブログを見ている人が、見ているブログを表示するサービスらしいんだけど。 ・・・う〜ん、知らないところばっかりだなぁ。 というか、ジャンルにまったく統一性がない。 |
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200706151817 |
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シノリューさんがちょっと前に作っていた曲を、ようやく公開した模様。
□SilentNocturne 今回公開されたのは、同人ゲーム「東方紅魔郷」のBGMの一つ「妖魔夜行」のアレンジ曲。 私は東方シリーズをやったことがないのだけど、元曲はこのアレンジ曲を初めて聴かせてもらった時に、一緒に聴き比べさせてもらいました。 いやー、アレンジっぷりが凄まじすぎる。 私の耳ではアレンジしたのだと教えてもらえないと、同じ曲だとは思えないよ。 シノリューさんが今まで作った曲の中では一番のお気に入りです。 オススメ。 |
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200706131634 |
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で、また元記事とあまり関係ない部分にセンサが反応するわけなんです。きゅぴーんと。
ここで元記事を紹介せずに、まるで何も無いところから思いついたように書いちゃったりしたら一次ソースになるのかしら。 ・・・でも最初から説明するのも限りなく面倒ではあるなぁ。 とりあえず、元記事と関係なさ過ぎる内容ではあるのでトラックバックを送るべきか否か悩む。 「トホホで落とそう」恋愛敏感症歌人・穂村弘のエッセイは、ガガガ文庫よりも非モテ男性の希望だなぁーって件 ― さて次の企画は 確かにトホホに落とすのは有効な手段であるけれど、やっぱりそればっかりになってしまうと、それはそれで息苦しい。 流行が結局のところ何回転もするように「トホホ」が維持できるのも2、3年が限度といったところではないだろうか。*1 まぁ、「トホホ」やら「孤高の領域」なんかが長期維持できないのは、そういう亜流ばかりやっていると本流が薄れてしまって亜流が亜流足り得なくなってしまうのも関係あると思うのだけれど。 王道が無ければ、外道が外道で居られないのよね。で、外道が王道になってしまえば、やっぱりそれはそれで息が詰まるし恥ずかしく見えてきてしまう。 今回はその「トホホ」に対するカウンターカルチャーが「天元突破グレンラガン」なのではないかなぁ、という話。 ちなみに断っておくと、グレンラガンは三話まで観て、その後は録り溜めている状態なので今現在どういう展開になっているのだかは知らない。 なんか兄貴が死んじゃったらしいのは知っている。やっぱりかぁと思うと共に非常に残念。 まぁ、でも今回の話はグレンラガン本体ではなく、なぜこのアニメが初期にあれほど盛り上がったのかについてなので問題ないのだ! 正直に言って、カミナのようなキャラクターはそれほど珍しいものではない。 そしてグレンラガンのような物語も、主人公がカミナではなくシモンという変わった視点ではあるものの、それほど珍しいものではない。*2 それでもこのグレンラガンという作品が人の注目を集めたのは、ここ10年程こういうタイプの作品とキャラクターが徹底的に「トホホ」にされてきた反動なのではないだろうか。 その代表格がカミナである。 カミナのようなキャラクターは、1990年代後半、2000年代前半の作品では絶対的に「トホホ」にされてきた。 もっとも代表的な例では「機動戦艦ナデシコ」のダイゴウジ・ガイことヤマダ・ジロウだろう。 彼はカミナと同じ熱血野郎ではあるが、周囲の人間はその突撃的行動を白けた視線で眺めるだけだったり、やることなすこと的外れな結果になったり、最終的にはロクに活躍も出来ないまま死んでしまう。 ナデシコという作品自体も、そういう熱血路線的なものを徹底的に「トホホ」に落とした作品であり、そういう部分が視聴者に受けた部分だったのだ。 ようするに皆、熱血馬鹿に辟易していたのだ。 「勢いだけで行動して運で結果的に何とかなっているだけじゃないか。都合良過ぎ」とか「ぎゃーぎゃー五月蝿いんだよ、馬鹿のくせに」とか思っていたのだ。 なので「トホホ」が大歓迎された。 で、製作者や作家側は視聴者が「トホホ」を求めていると知って、あるいはそういう「トホホ」を観て育ってきた人間もそれが「王道なのだと思って」、一斉に「トホホ」な作品を作り始める。 かくして世界は「トホホ」で溢れかえった。 猫も杓子も「トホホ」「トホホ」。出る作品出る作品、登場人物の行動が空回りして、クールな悪党は実は格好悪かったという笑撃の事実が明らかにされたりする。 いつの間にか亜流だったはずのものが、本流になってしまったのだ。 そういった事態になれば最初は歓迎していた「トホホ」に対する反発も強まる。 そんな時に登場したのが、忘れられていた王道を行ってしまうグレンガランという作品なのだ。 カミナの行動は理論的なものなど何もなく、運に助けられただけの結果論、そのキャラクター造形も珍しいものではない。 それを指してグレンラガンが流行るのはおかしいという人もいる。 なんでカミナのような馬鹿が人気があるのが分からないと言ったりもする。 理由は簡単、「トホホ」が停滞し、身動きが取れなくなったこの現状に現われたということが重要なのだ。 偶然か計算かは知らないが、流行る理由は「時流を読んだ」からに他ならない。 皆、熱血馬鹿が活躍するグレンラガンのような「王道」を待ちわびていたのだ。 ▽関連記事▽ ・「アニキ」が死んだ世界で、どう生きていくか?〜『天元突破グレンラガン』第11話によせて ― 第二次惑星開発委員会 ▽ウチのブログの関連記事▽ ▽関連記事▽ ・グレンラガンは男の背中を追う物語 ・グレンラガンの最後に納得できないオタクの叫び *1 まぁ、流石に2、3年は言い過ぎで、十年ぐらいは持つだろうけど。最盛期は2年程度のものだろうと思う。 *2 主人公が合体ロボットのメイン操縦者ではなく、脚部担当っていうグラヴィオンという作品もあったし。 |
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200706130729 |
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うちの「その名は「機動戦士ガンダム00」!」の記事を、名探偵西園寺万五郎がアニメを斬る!さんの「新作ガンダム発表でも創通の株価はピクリともしない」にて紹介していただきました。
で、元記事に追加という形で書こうと思っていたのだけど、何だか思った以上に長くなりそうなので別記事にしようと思います。 ちなみに結論とかは特に無し。 読んでいて考えたことをグダグダ書いているだけです。あるいは単に自分のオタ知識を披露したいだけの自己満足。 なので正直、元記事のネタとはほとんど関係無かったりします。 ・・・なんか、最近このパターンが多いな。 萌え系の「瀬戸の花嫁」は、同じく萌え系である、らきすた、アイドルマスター、なのはに比べて、明らかに盛り上がってないし(後略) (引用) 「瀬戸の花嫁」を、その三作と同じ舞台に上げるのはかなり酷な話じゃないかなぁ。 何しろ「らき☆すた」は例の「涼宮ハルヒの憂鬱」の京都アニメーションの製作だし・・・ 「瀬戸の花嫁」の製作会社であるGONZOは、京都アニメーションと違って一年に作る本数が桁違いなので「GONZOがアニメを作った」という程度では話題に上らなくなるのは仕方ない。 何しろ2007年6月の段階で、今年はすでに7作のアニメを作っている。(詳しくはこのページ参照) 対する「京アニ」こと京都アニメーションは今年製作したアニメ作品は今の所「らき☆すた」だけ。 この両社ではプレミアム度が違い過ぎる。 (なので恐らくは京アニの業績が上がって、今後製作本数が増えてきたら今程騒がれることも無くなってしまうのではないかと思う) まぁ、GONZOがアニメ化するにあたって期待の声が少ないのは、あそこが平気で原作の魅力であった部分をぶち壊すからなんだけど。 有名な所では原作者に否を貰って、新たに別会社にOVAシリーズまで作られてしまった「Hellsing」とか。 そして「アイドルマスター XENOGLOSSIA」。 これも「瀬戸の花嫁」と比べるには、原作の注目度が違い過ぎる。 知らない人のために説明しておくと、アイドルマスターは元々アーケードゲームであり、その時点でアイドル達に日銭を貢ぐ廃人を何人も作り出した作品でして。 更にその後、Xbox360に移植されると、動画投稿サイトを媒体としてブームを作り、新たなる顧客を作ったりしていました。 「魔法少女リリカルなのはStrikerS」も、そもそもアレは「とらいあんぐるハート」というギャルゲーのスピンオフ作品で、すでに「無印」「A’s 」と続いている作品。 つまり、一定の固定ファンがいるわけで。更には私のようにそのファンに布教されて、後から入信した人間もいたりします。 対して「瀬戸の花嫁」は月刊ガンガンWING連載とはいえ、元々あまりネット上では話題になっていない作品でした。 ネットで積極的に発言しないファンを含んだ数はともかく、「ネット上でアニメ化に騒ぐ元々のファンの数」では、他の三作品に比べて圧倒的に差があり過ぎる。 つまり「らき☆すた」「アイドルマスター」「なのは」はアニメ化の際にネットで騒がれて「当然」な作品なのです。 ・・・なんていうか、上がるリングが違い過ぎるよ。 ヘビー級の対決の中に、ライト級の選手が乱入するようなもんだよ。 以上、全て閑話休題。 西園寺探偵の記事についての話を少しだけすると、一番問題なのはガンダムという「確実に儲かる」はずのコンテンツの製作が発表されたのに動いていない株価じゃないかと思うんだよなぁ、やっぱり。 上がる下がらないに関係なく、「ガンダム」を作ると発表したのに株価がピクリともしないのは流石に問題なんじゃないだろうか。 ガンダムというブランドはすでに過去のものになりつつあるのだろうか・・・ |
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200706110346 |
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あんまり言うべきでないというか、個人個人の言葉に対する感覚にケチ付けるようなのは好きではないのだけど、どうしても気になってしまう。
114920 ― ここはチラシの裏です 脳内恋愛については経験値が無いので語れない。 妖怪手長みたいな生物を5、6年ぐらい前から肩車しているけど、それは脳内恋愛とは関係ないしなぁ。 何しろ、オスかメスかも分からんし、というかそもそも性別があるのだろうか。 私は勝手に女の子だと思うことにしてるのだけど。 それ以前に人の形をしているのかどうか・・・。 あ、ちなみに私の足は長くありません。・・・み、短くなんかないんだからね! で本題なんです。 どうも「萌え」と「愛」を同じ次元に並べられると違和感がある。 少なくとも「萌え」という名称がない時からその感情を持っていて、「萌え」という言語を聞いて初めてその感情の名前を知った人間としては。 もしかしたら、私だけの感覚であるのかも知れないのは分かっているのだけど。 確かに「萌え」ってのは「愛してる」であり「好き」という意味ではあるのです。 でも「Love」であると同時に「Like」でもあるんだよね。あるいはその中間を彷徨う微妙な感情。 リンク先の記事に反応したのは「萌え」という感情は、フィクションの存在を現実と同じように愛し抜こうとしたけど、それが出来ず挫折した後にあるものだと思うからだ。 即ち、目の前のキャラクターに対して愛のような感情を感じる。だけど、それは決して応えてもらえないものではあるし、自分には現実の存在のように愛し抜くことも出来ない。 その人は誰かが描いているもので、誰かが声を当てているもので、同じ時を歩くことは出来なくて、誰かの都合によっては絶対にその人がしないような行動をさせられてしまうような薄い存在だということは分かっている。 (ここら辺、「者」であるとも「物」であるとも断言できない。そんな微妙な感覚を分かってもらいたい) だから現実の存在をも対称にしている「愛してる」や「好き」という言葉をその人に対して使うことに抵抗がある。それに世間体を考えると、そんな言葉を使って本当に虚構を愛しているのだと勘違いされるのも嫌だ。 でも「気に入っている」やら「良いんじゃない?」とかいう空々しい言葉では、その人に対する想いを表現したくは無いというジレンマ。 そんな名前の無かった感情に付いた名前が「萌え」なのだ。 ・・・少なくとも私にとっては。 だから私は虚構のキャラクターに対して「愛してる」や「好き」という言葉を使わない(そりゃあ、冗談とかで使うことはあるけども)。 そんなわけだから現実の存在に対して「萌え」などという言葉を使われるのには違和感を感じて仕方が無い。 「萌え」なんてのは絶対に手が届かない存在に対して使う言葉だろうが! と思う。 ・・・「現実のアイドルにも手は届かない」?。 馬鹿な! アレらは触れるし、言葉を交わせるし、私には絶対に知れない部分を持っているし、やろうと思えばレイプしたり監禁したりして無理矢理体だけでも自分の物にすることだって出来るじゃないか! 出来ないんだよ! 二次元の存在はそういうことだって出来ないんだよ! たとえ原作者を監禁して自分好みの話を描かせて自分を愛してもらったって、それは違うんだよ! でも愛してる! 愛していることだけは確かなんだ! ・・・あ、映画とかの「役」に対しては有りね。「役者」に対してではなく「役」に対してなら。 そういう感情が「萌え」なのであって、二次元を愛し抜く覚悟という話に「萌え」を並べられては私は困る! 虚構に対する愛の挫折者から、欺瞞の愛を囁くための言葉すら奪われてしまう。 とりあえず本気で愛してるなら、ちゃんと相手に「愛してる」って伝えようぜ! 「萌え」なんてお為ごかしの言葉なんて使わず、そのことに対して胸を張るべきだ!! ・・・うん。とりあえず推敲して本気で思ったのだけど。 俺、凄くキモい。 |
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200706090839 |
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∀ガンダムに関係する記事をちょっとまとめてみる。
描いた順番に並んでいるのです。 ・ハリー・オードはマザコン ・「∀ガンダム」2巻まで観ました ・「∀ガンダム」の3巻を整理する ・ディアナ様は本当に可愛らしい方でいらっしゃる ・∀ガンダムはおもろいな ・ハリー隊長はディアナ様フェチ ・ターンエーの癒し とりあえず「ソシエの戦争」に関して書きたいことがあるのだがなぁ。 なんで書いてないんでしょう?(知るかっ |
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200706090808 |
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著者=富野 由悠季 出版社=角川春樹事務所(ハルキ文庫) すいません。風邪ひいてました。 布団の中でこの本を読んでいるのは、果たして健康なのか不健康なのか。 機動戦士ガンダムの監督として有名な富野由悠季さんがブレンパワード、∀ガンダムを製作中に考えていたことなどを纏めた本。 2002年には文庫版が出ていて、私が読んだのはそちらの方。 「最近の若いやつは!」とか言われると、富野さんが駄目だと言う若いオタクである私には、どうしてもそういう部分ばかりが頭に残ってしまって「なにくそ!」と思ってしまうのは仕方がないではありませんか! そんなわけでブツブツと文句を言いながら読んでました。 私にはどうにもこの本は言いたいことをぐっと我慢して、最大限気を使って言葉をオブラートに包んで書いているように思えて仕方ない(両親に関する話などは遠慮の少ない分面白かった)。 実際そうだろうと思う。 そして矛盾が凄い。 前半では「変態的なものは隠せ!」と言ったが、後半では「宝塚は変態的だがそれを日常と同化させている大阪は凄い!」と言ったりする。 それを読んで私程度だが「若い人だな」と思う。 作家やらが駄目になるのは一つの意見に拘泥するからだと私は思っているのだが、富野さんはそうならず常に色々なことを考え続けている。 この本を出した時点で58歳。これは凄いことだ。 それにしても気になるのは彼が本書の中で∀ガンダムをずっと「普通の人向け」と言っているところである。 「普通の人向け」……これは一体何を意図しているのだろうか。 もし「普通の人にも受ける」という意味で言うのなら、∀ガンダムは少なくとも無しではないだろうか。 もし私が普段アニメなど観ない人間に、どうしてもガンダムというコンテンツを薦めなければならないとしたら「∀ガンダム」は選ばない。 「機動戦士ガンダム」……いや絵柄が古過ぎる。 恐らく相手が若い人ならガンダムW辺りを薦めると思う。 恐らく彼が言っている「普通の人」というのは、そういったことではないのではないだろうか。 何ていうか私達の世代の言葉での「オタク」の内には含まれるが、富野さんが口にする意味での「オタク」の範疇には含まれていない相手を想定しているように思えてならない。 日本のテレビアニメ創成期から関わっている人間の中で、現在も精力的に活動していて、更には私達に比較的正直に言葉を投げかけてくれる相手というものは少ない。 そういった人間の言葉を聞けるという意味だけでも、この本を読む価値は十分にあるのだと思う。 |
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